今週も水曜日がやってきました。水曜日の夜は静かに過ごしたい。誰かと会うよりも今日はのんびり家で過ごそうか、という気分の時におすすめの映画を、今月も紹介します。
この「水曜日の映画館」では、特に最新のものや流行りのものに限らず、App Storeのエディターが“水曜日の夜に合いそうな気がする”と思う映画を独断と偏見で選んでいます。もしも映画が気になる内容だったら、チケットを買う代わりにアプリの中で、どこでもあなたのリラックスできる場所で映画鑑賞を楽しんでください。
毎月1回、新しいラインナップに切り替えながら、その映画にまつわることを、そこはかとなく書きつづっていきます。
連載第6回:「愛を読むひと」

今日おすすめする映画「愛を読むひと」は、観る人の立つ視点によって、受け取れるものが様々に変わる物語です。その中には、愛することで抱える重みも含まれます。観終わった後に、何もかもが解決したハッピーエンドの喜びを味わうタイプの映画ではありません。ですが、人を愛すること、尊重すること、そして人間の尊厳と小さなきっかけがもたらすあまりに大きすぎるほどの影響など、人生を色づかせる様々な要素に気づかせてくれます。
15歳のマイケル(ミヒャエル)・ベルクは、ある日電車の中で気分が悪くなり、市営鉄道で働く21歳年上のハンナ・シュミッツに助けられます。やがて彼は、彼女のために本を朗読するようになります。
原作はベルンハルト・シュリンクの小説「朗読者」です。原作はドイツでの刊行後5年の間に世界25カ国以上で出版され、日本でも刊行当時、翻訳小説としては異例のベストセラーとなりました。映画ではケイト・ウィンスレットが、ハンナ・シュミッツという複雑な過去を持つ女性を演じています。その視線や言葉を発していない沈黙が本当は何を語っていたのか、物語の中で時代が進むごとに少しずつ、受け取る意味合いが変わってきます。
マイケルが初めてハンナと出会ったのは、ドイツのベルリンです。時代は1950年代半ばと推定されます。映画の冒頭は、年の離れた女性に対する青年の初恋物語のように進んでいきます。他愛のないふざけあいや、自転車での遠出は、マイケルにとってかけがえのない思い出になりそうな青春の日々です。しかし夏のある日を境に、突如それは終わりを告げます。

なぜ、ハンナは姿を消したのか? なぜ、ハンナはマイケルを受け入れたのか? いくつもの疑問を抱えたままマイケルの毎日は過ぎていき、時代は1960年代半ばとなります。次にハンナと再会した時、目の前にいた彼女は、彼と過ごした日々よりも、過去の出来事に深く結びついた存在として、人々の注目を集めていました。
人は誰かと出会う時、出会う前にその人が何をしていたのか、その多くを知りません。それでも目の前の人と言葉を交わし、同じ時間を過ごす中で、関係性を作っていきます。ある日、思いがけないその人の過去を知った時、それまで相手に抱いていたイメージや感情は、その事実に対してどこまで独立性を保てるのでしょうか。楽しかった思い出は、困惑や悲しみで上書きされてしまうのでしょうか。
葛藤するマイケルの前で、ハンナの人生に関わる大きな出来事が進行していきます。それは個人と社会、そして時代に深く結びつき、解きようがないほどに絡まっているかのようです。マイケルは彼女の人生の傍聴席に座りながらも、それを傍観するだけではいられない現実に直面します。彼の目を通して見ることで、ハンナたちの様々な行動と決断は、私たちにも自分が過去との連続の中で生きていることを思い起こさせ、そして自分なりの答えを出すまでは消えない問いかけを残します。
彼女はどうすべきだったのか? これは正しい決断なのか?
小説を読む醍醐味が、行間を読むことならば、映画を観る醍醐味は、語られないセリフを観ることにあるのでしょうか。この作品では、最後の最後まで、沈黙の中にいくつもの声にならない思いが語られます。
ハンナが彼に求めていたこと、マイケルがかけるべきだった言葉。人を愛する時、できることはその人のために自分がやりたいと思うことだけなのか、あるいは人は、本当に相手が求めるものを与えることができるのでしょうか。
新しい二人の側面を知る度に、彼らの思いや行動がまた違った色合いで見えてきます。けれども一つ変わらないことは、彼が彼女のために朗読し、彼女が何度もそれに耳を傾けた。その事実が持つ意味を、何度も思い返してしまう作品です。
「愛を読むひと」が視聴できる配信アプリ
映画が体験させてくれる数時間の別空間を楽しんだら、今日もゆっくり休んでください。今週の水曜日もお疲れ様でした。