萩尾望都さんは、2020年1月にイタリアの首都ローマに赴き、ガリレオ・ガリレイの生涯を描いた、App Storeで掲載するためのオリジナルマンガ「ガリレオの宇宙」を創作しました。
萩尾さんに50年以上に渡る創作活動の動機や、素晴らしい物語を描く秘訣、さらにはiPadと作画Appの「Adobe Fresco」などのテクノロジーをどのように創作に活かしているか、その創作秘話を聞きました。
物語はどのようにして
生まれるのか
萩尾さんはこれまでに、長編、短編、そしてシリーズものと、マンガだけでも120を超える作品を描いてきました。小説やエッセー、絵本なども含めるとその数はさらに増えます。萩尾さんの中で、物語はどのように生まれるのでしょうか。
「物語が頭に浮かぶ時は、脳に直接落ちてくる感じです。落ちてきて、ちゃんと卵から割れて、ひなになるものが物語になります。きれいなシーンを思い浮かべた時に、そこから物語の冒頭が浮かぶこともあります。良いものが浮かぶ時は、たいてい短時間でパッと浮かびます」
萩尾さんの最初期の作品、「ポーの一族」の冒頭も最初にシーンが浮かび、そこから物語が始まっていったと言います。その時のインスピレーションは、萩尾さん自身の始まりであると同時に、日本のマンガ文化にとっても歴史の転換点となりました。
ガリレオへの興味
マンガの開拓者、萩尾さんは以前からiPadを使ってイラストレーションを描いていました。ですが、本格的にすべての工程をデジタルで創作したのは今回が初めてです。新しい技術を使って描く物語の主人公に、萩尾さんは科学的観察と天文学の開拓者、ガリレオ・ガリレイを選びました。
「以前、フィレンツェにあるガリレオの博物館に行ったことがあり、そこで見た彼のスケッチが味わいのある絵でした。ガリレオが観察した月や星や太陽を描いた絵で、それを見ると遠い宇宙空間が身近なものに感じられました。彼のスケッチは、人間臭いというか、自分の目で月や星々を見るのが、いちいち面白かったのだろうなと感じられ、その心情を推察すると面白くて、彼自身にも親近感が湧きました」
幼稚園児の頃から
物語を描き始めた
萩尾さんが最初に物語に触れ、自分でも描くようになったのは、幼稚園児の頃だったと言います。
「2歳年上の姉がいて、姉の読んだものが自分に回ってきて、読むようになりました。そのうちに、わら半紙を折って、16コマにして、そこに物語を描き始めました。継母に育てられてどうのこうの、といったお話です」
やがてシェイクスピアや、SFを愛読するようになります。
「まだ『スターウォーズ』の映画が出るよりも前でした。シェイクスピアのようなすでに有名なものは面白いと言いやすいけれど、当時はSFが面白いよと周りに言っても、相手にされませんでした」
ガリレオが描いた絵を見ると、遠い宇宙空間が身近に感じられました
マンガ家の萩尾望都さん
自分が面白いと
思ったものを信じる
50年の創作活動を通じて、常に意識してきた主題として「喪失」があると言います。
「喪失を埋める。欠落を埋める。物語に引かれるのは、物語の中には結末があり、そこで欠落していたものが取り戻される感覚があるからだと思います。子どもが大人になっていくのはけっこう大変で、みんなが自信満々で大人になるわけではないですよね。けれど、物語が自信を与えてくれる。私の目が捉えたものが、私を作っています。だから小さい頃に、たくさんの小説やマンガがあってよかったな、と思います」
「描く理由としては、自分が欠落を埋めたい、というのがあります。こんな風に私は物語を作ったけど、理解してくれますか。読んでくれますか。私はこんな風に考えているけれど、どうですか、というようにいつも思って描いています」
喪失を埋めるために、50年描き続けてきました
人を感動させる物語をどうやって生み出してきたのでしょうか。
「物語は、小さい頃から私を救ってくれた様々な物語、自分が面白いと思ったものの集大成として、自分の中に出てきます。だからもしも自分の描いたものが面白くないとしたら、自分自身の表現の仕方を疑問に思う、という方向に考えがいきます。自分が感動したものや、面白いと思ったものにうそはなかった。それならば、表現の末端のことをもう少し勉強して、わかりやすくしたらどうだろうか、とか。面白くするための解決策を自分の中で、探りながら描いていきます」
科学者の脳に
数式が浮かぶ時
萩尾さんは、数学者や科学者の頭の中で、ある数式が浮かぶ時、それが頭の中でどのように浮かぶのか、それに興味があると言います。
「科学者ならではのインスピレーションなのか、それがどのように浮かぶのか、それは今でもわかりません。けれど人間の脳は、宇宙につながるように思います」
「Star Walk 2」が映し出す
400年前のガリレオが見た星空
ガリレオは、生涯に数回ローマを訪れました。彼の運命を決めた裁判の判決を聞いた教会をはじめ、人生の重要な時期を過ごしたローマの地を萩尾さんは歩きました。そして今から400年近く前、1633年のローマの星空の様子をAppで再現して、彼が見た星空を眺めました。
「『Star Walk 2』で見た空は美しかったですね。ちょうど夕暮れ時で、暮れてゆく空の色に星々が重なって、星座の絵が浮かびあがって、急に異なる世界に飛んだかのような体験でした」
テクノロジーでつながれた過去と現在の空が、インスピレーションを与えました。そして、いつもの仕事場を離れて、ローマの地を訪れたことで、創作活動にも影響があったと言います。
「現地に来てみて、石造りの家に囲まれて、その歴史的な街並みの中にいるのと、遠く離れた場所にいるのとでは、肌に感じるものは違います。歩きながら、当時のローマはこの辺は原っぱだったとか、人口の規模とかを聞くと、頭がリフレッシュされます。実際に建物に入ると、当時の様子も思い浮かびます」
もしも描くことを
禁止されたら
ガリレオは裁判の判決で、長年探求してきた天体に関する研究を禁止されました。もしも萩尾さんが、今後マンガを描くことを禁じられたとしたら、という問いに、萩尾さんはこう答えます。
「マンガ禁止令が出てしまったら、禁止令のない国に逃げてしまうと思います。ガリレオは生き延びる方を選んだので、こっそりと本を書いて、後に海外で出版しました。ここで死んだら頭の中にあるアイデアがダメになってしまう、と思ったのではないでしょうか」
「ガリレオは自分が真実だと思っていたことを、発言してはいけないと言われて、意見を翻さざるを得なかった。この時の心情を考えると、ああ、70歳になってもこんなにつらいことがあるのか、と思います。生きているうちに解決できなくても、350年ほど経って理解されることもあるから、長い時間のスパンで見ていくと良いのかな、とか。人間は権威や力があっても、いつも正しいことをするのではない、とか、考えさせられます」
想像力とともに
技術を使う
ガリレオは望遠鏡の技術を、新しく観察の手段に使いました。17世紀の当時は、観察することそのものが、学問の基本手段ではありませんでした。世界を観察し、そこから思考すること自体をガリレオは実践しました。それによって人類の視野が広がり、想像力の描く世界もまたさらに広がりました。今日では観察に基づく思考法は、あらゆる分野の基礎になっています。新しい技術は、人々の創造や開拓に何をもたらすか、また技術の使い方について萩尾さんはこう考えます。
「革新による進化とともに、功罪も考えて、個人的にはその負の局面の方が大きくなってきていることをもっと考えないといけないと思います。例えば人工衛星などの技術は広く社会のインフラを支えています。それらによって人間の生活は便利になりました。一方で、地球の中や、近年では宇宙空間までにも、人類が出したゴミがたくさん放置されたままになっています。多くの人は地球の長い歴史と比較すれば、長くてもたかだか100年ぐらいしか生きないから、それまで地球がもてば良いと思う人もいるかもしれないけれど、200年後、さらにその先のことを考えなければいけません。想像力を豊かにして、考えてほしいなと思います。人間は立ち止まらないから、少しずつでもやっていけば良い方向にも変わっていくと思います」
萩尾望都さんがマンガ制作に使ったApp
マンガの作画と仕上げに使用した「Adobe Fresco」と「Adobe Photoshop」はiPadで使えるAppです。
萩尾望都さんが描いたオリジナルマンガ
「ガリレオの宇宙」とインタビュー前編